
こんにちは、HONEの堀川です。 2026年1月13日、広島県広島市を訪れました。
企業研修の合間だったのですが、「原爆ドーム」に足を運びました。
名前も姿もよく知っている場所ですが、実際に訪れるのは今回がはじめてです。
街の誇りだった、大胆なヨーロッパ建築
今でこそ「原爆ドーム」の名で親しまれていますが、その始まりは大正4年(1915年)。
チェコの建築家ヤン・レツルの設計により、「広島県物産陳列館」として誕生しました。
当時は珍しかったレンガ造りの3階建てに、中央には銅板の楕円形ドームがそびえる5階建ての階段室。大胆なヨーロッパ風の建物は、たちまち広島の名所となり、街のシンボルとして人々に愛されていました。
実は、1919年に日本で初めて「バウムクーヘン」が紹介されたのも、この場所だったそうです。地域物産が集まり、豊かな「日常」が存在していました。
しかし、1945年8月6日。その日常は一瞬にして奪われました。
想像を越える「生々しさ」との対峙

私は今回はじめて現地で拝見することができました。
これまで何度も、写真や映像、教科書の中で見てきた姿でしたが 、いざその前に立つと、そこには空気が一変するような、不思議な静寂がありました。
剥き出しになった鉄骨、崩れ落ちた外壁の質感。
実際に目に映ったその姿は、想像以上に生々しく、歴史の重みに圧倒されました。

耳を澄ますと、ガタゴトと響く路面電車の音や、川沿いを歩く観光客の話し声が聞こえてきます。
1945年のあの日から時を止めたドームと、休むことなく時を刻み続けてきた広島の日常。
現地ならではの、街の体温のようなものを肌で感じました。
165万人の署名が繋いだ

この遺構が今、こうして目の前にあるのは、決して当たり前ではないと思います。
1990年代、世界遺産への登録を求める声が上がった際、国会請願のために全国から集まった署名は165万名を超えたのだそうです。
「この記憶を未来へ繋ぐのだ」という、膨大な数の人々の意志。
現在、この場所には国内外から年間約210万人(2025年度)もの人々が訪れているそう です。かつての署名に込められた願いが、いまや世界中から集まる平和への熱量となり、この場所を支え続けています。(公式の入館統計集計より)
世界遺産への登録という一つの形を通して、静止した過去が、いまを生きる人々の強い願いによって守られ、次の世代へと取り繋がれているのを感じました。
さいごに

原爆ドームは、広島が歩んできた歴史と、そこから立ち上がってきた人々の圧倒的な「生」のエネルギーを肌で感じさせてくれる場所でした。
実際にその場所に立ち、ドームの静寂と街の活気のあいだに身を置いてみると、広島という街の「本当の顔」に触れられた気がします。
広島の人々に守られたこの景色が、これからも変わることなく、平和な未来へと続いていくことを願って。私もまた、肌で感じるために広島を訪れようと思いま す。
HONE/堀川



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