人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である――こころの資本の経済学 を読んで。
- 桜井 貴斗

- 1月24日
- 読了時間: 14分

樋口耕太郎著『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である こころの資本の経済学』(2025年9月刊行)。
愛と経済、そして幸せの真理とはなにか。
沖縄でひっそり開催されていたとある講義。経営者やジャーナリスト、学者、キーパーソンが夜な夜な通っては「愛」と「経済」について学んだという伝説の講義がついに一冊に。「愛」を軸に、生きることや経済、社会の仕組みを問い直す衝撃作です。
本記事では桜井が心に残ったパートを一部抜粋してビジネスや生き方に転用できる点としてまとめてみました。
経営というすばらしき仕事
(本書より) 経営者は、従業員が熱心に働かないことを訝しがり、経営理念を唱和させたり、報奨金を渡したり、罰則を厳格にしたりして動機づけようとする。だが経営者は、彼らの人生に明かりを灯す力をはじめから持っているのだ。その力を発揮するために必要なことは、彼らの人生に誠実な関心を向けることだけである。』
組織とはルールをつくったり、インセンティブを設計することではなく、従業員の人生に誠実な関心を向けることができているか?という点を考えなければならないと改めて感じました。
自分が「こうしたい」→それに共感した人がついてくる、というものではなく(もちろんそういったリーダーシップもある)、従業員自身がどんなことに興味関心があり、その関心と会社の事業をどのようにして結びつけるのか?という視点は必要だと思っています。
(本書より) 結局、人事考課をオープンにしてほしかったのではなく、「私たちのことをちゃんと見てくれ」という心の叫びが、彼らの本当のメッセージだったのだ。「私たちはここにいて、日々、こんな気持ちで働いている」ということを、この世の中で、誰か、特に上司や経営に携わる人たちに見てもらえたら嬉しいと言っているのだ。
人事考課や業績をオープンにすることは根本的な解決ではなく、「私たちのことをちゃんと見てくれ」という心の叫びが、彼らの本当のメッセージだった。開示して欲しい、というのは「自己開示すること」が大切なのではなく、もっと相手に興味を持つことが大事なんだなぁと思いました。
私もかつて自己開示をたくさんしてきましたが、必要なのは自己開示ではなく、相手のことを知る姿勢だったんだなと気付かされました。
マーケティング理論の最大の欠点
(本書より) マーケティング理論の最大の欠点は、消費者を分析しようとしてきたことにある。普遍性のあるマーケティングを目指すためには、消費者ではなく、人間を見つめなければならない。人間を理解するためには、人間の無意識に気づかなければならないのだ。 人間の無意識のニーズはなかなか言語化されない。ほとんどの顧客は自分の無意識のニーズが何かを知らないし、それどころかニーズの存在にすら気づいていない。顧客に彼らのニーズを聞いても、たいがいは的外れな答えしか返ってこないのだ。
(本書より) 時折見かけるシャンプーのCM。腰まであろうかと思える美しい髪の若い女性が振り返ると、驚くほど艶やかなストレートヘアがふわりと広がる。この映像の裏側には、「あなたの髪はダサい」という隠れたメッセージがある。広告主が消費者の無意識に忍び込ませようとしている真のメッセージだ。 「彼女を見てください!街を歩くと誰もが振り返る艶やかで若々しい黒髪。これがあなたの髪のあるべき姿です。それに比べて、あなたのいまの髪はなんてみすぼらしいのでしょう」「そんなあなたの問題を解決するいい方法があります。それが、このシャンプーです!」おそらく、それほどの悪意もなく、大半のCMは、私たちの人生がいかにつまらないものかを潜在意識に刷り込むことを目的としている。私たちのみすぼらしい現実とあるべき理想とのギャップは、商品を買うことで簡単に埋め合わせができる、というわけだ。 どれだけ市場にものがあふれていても、消費者に欠乏感を感じさせることができれば、いくらでもさらなる需要を生み出すことができる。需要が生まれれば、経済成長を続けることができる。経済が顧客のニーズを満たすのではなく、経済成長のために顧客のニーズがつくられるのだ。
マーケティングは資本主義経済に必要とされてきたし、資本主義経済はマーケティングによって成長してきました。
しかしその結果として人は幸せになったのでしょうか。
マーケティングの根底には「消費者に欠乏感を感じさせることができれば、いくらでもさらなる需要を生み出すことができる」という思想があるように感じます。
需要が生まれれば、経済成長を続けることができる。経済が顧客のニーズを満たすのではなく、経済成長のために顧客のニーズがつくられる。
しかしそれでは人は幸せになれない。マーケティングが資本主義の道具にならないように、大切な文化や歴史、伝統を守り継続するためにこそ、マーケティングを扱いたいと感じました。
(本書より) 街を歩いていても、テレビをつけても、どのCMを見ても、世の中のあらゆるマーケターは、私たちがいかにつまらない人間であるかというメッセージを襲いかかるように刷り込んでくる。こんな社会で生まれ育ったら、自分を愛せなくなるのも無理はない。 その結果、モチベーションセミナーや自己啓発講座、ポジティブな指導者のもとに多くの人が列をなす。皮肉なことに、このようなセミナーもまた受講者の依存心をかき立てるものが多く、受講者の依存心が深まるほどリピーターが増える仕組みになっている。人間を何かに依存させれば無限の需要をつくり出すことができ、確実な売り上げが約束される。そして、これらのすべては、経済成長に寄与するのだ。 (中略) このような現象を観察する限り、人間はお金を欲しているのではなく、お金を手段として、人を優越したいのである。お金持ちになりたいというよりも、他人よりも金持ちでいたいのだ。 これが、お金を欲する気持ちの裏側に隠された本当の動機だったりする。逆に考えれば、この動機に支配されている人たちは、自分が関わっているすべての人に優越したと思えない限り、どれだけお金を手にしても満足できない。
自分自身も資本主義に消費されないように、経済成長第一にならないように、誰かと比較して優位に立ちたいだけの人生にならないように、改めて自分にとっての幸せとはなんなのか?について問わなければならないと思いました。
物質的な豊かさは幸せに結びつかない
(本書より) 『ALWAYS三丁目の夕日』の時代から50年が経過した時点で、日本の一人当たりの実質GDPは8倍を超えたが、幸福度は横ばいのままだ。同様の調査は世界各国でも行われているが、結果はほぼ同じだ。 なぜ、物質的な豊かさが幸せに結びつかないのか?どれだけ経済成長を遂げても、どれだけお金を獲得しても、なぜ人間は幸せにならないのか? お金と潜在意識のつながりを研究している精神科医のデビッド・クルーガーが、数年間にわたって数百人に「お金についてまったく苦労や心配をせずに、幸せな暮らしを送るには、年収はどれくらい必要ですか?」と尋ねたところ、10人のうち9人までが、現在の年収の約2倍の金額が必要だと答えたという。 年収がめでたく2倍に増えた人は、再び同じ質問に対して、そのまた2倍の金額を答えたのだ。現在年収500万円の人は、1000万円の年収がなければ十分ではないと感じるが、実際に1000万円を稼ぐようになると、2000万円の年収でなければ不満を感じるということだ。

結局、GDPは伸びたとしても、満足度は比例しない。お金を稼げればもっと稼ぎたいという欲が生まれる。売上がx年連続で右肩上がり、という事実は素晴らしいけれど、それで従業員やステークホルダーは幸せになったのか?については改めて考え直さなければならないと思います。
(本書より) 孤独とは、自分自身と離れていることである。一人ぼっちが耐えられないのは一人でいるからではない。自分と一緒にいないからだ。一人が寂しい人は、多くの人と一緒にいてもやはり孤独なのだ。 ありのままの自分を愛していないとき、私たちは自分自身と分離している。 罪悪感、自己嫌悪、劣等コンプレックス、自分が無価値だと思うこと…自分を愛せなくなるあらゆる状態と孤独は同じである。 ありのままの自分が愛に値しないと意識的、あるいは無意識的に思い込んだ瞬間、人間は自分自身と分離し、孤独という痛みの中で生き、激痛に怯えながら痛み止めを追いかけて生きることになる。 孤独とは自分とのつながりを失うことだ。
孤独とは物理的な状態ではなく、自分を愛せなくなる瞬間、孤独になる。孤独とは自分とのつながりを失うことであると樋口さんは書かれていました。
確かに今の自分に満足していれば孤独は感じないはずだと思います。ありのままの自分を愛せるのか、受け入れられるのか?受け入れてくれる人を探すのではなく、自分自身が受け入れることを優先して生きなければならないんだな、という当たり前のことを思いました。
(本書より) 庭で野菜がたくさん採れたときには、これをあげたら一番喜んでくれるのは誰だろうと考える。そのとき、料理が大好きな友達の顔が浮かんでくる。友達は野菜をもらう楽しさと、自分が大好きなことを覚えていてくれたうれしさを同時に感じるに違いない。 贈与は、人の関心に関心を向ける行為であり、それがゆえに、関わるすべての人の幸せに寄与する。
幸せってなんなんだろうと思ったとき、上記のような「おすそ分け」の文化なのかなぁと思いました。
足るを知り、それ以外は大切な誰かに贈与する。それこそが人に関心を向ける行為であり、幸せを循環させていく仕組みなんだと思います。
最もコストの高い資金調達「株式上場」
(本書より) この事実は驚くほど知られていないのだが、株式上場は、あらゆる資金調達の方法の中でも、特にコストが高い。闇金からお金を借りて健全な事業が成り立つと考える経営者はほとんどいないと思うのだが、多くの経営者たちは無自覚にこれに似た状態に陥っている。 先の事例では、7%成長を求められている純資産10億円の上場会社が、30年間で期待されている利益の合計は70億円だ。この「支払い」は雪だるまのように増加を続け、数学的にいつか必ず破綻する運命にある。
エクイティの調達は会社の将来性とその先の利益を担保にすることだと認識しています。短気でお金を借りられる利点はあれど、それはいわば借金であり、「成長しない」という選択肢を持たない資本主義のゲームに参加することでもある。
一方で、その逆についても樋口さんは解説してくれています。
純粋にこの逆を行えば、株主資本主義の構造から派生するすべての問題が解決しないだろうか。子分の利益を親分がカツアゲするのではなく、親分の了承のもとで、その利益を次世代の孫分たちに分配してもらうのだ。 資本を無償で提供し、配当を受け取らない。そんな資本家の存在が何を引き起こすのか、想像してみて欲しい。成長のための成長、利益のための利益が不要になるから、企業は無理やり無要をつくり出す必要がなくなり、消費者の最善を目的とすることが許されるようになり、思いやりを手段にして人を傷つける必要がなくなり、利益を無理やり捻出するために人件費が削られることもなくなる。 株主利益を複利で増加させ続けるプレッシャーがなくなれば、株主ではなく、人間にとっての最善を事業課題にできる。 政治的にも、株主利益の最大化への圧力が薄れれば、国民にとって真に価値ある政策を選択できるようになる。 ある企業が株式上場を前提に10億円の資金調達を行えば、投資家への対価として、純資産を10年ごとに倍増させることが求められ、30年間で合計70億円の当期利益が必要になる。このことはすでに述べた。はじめに調達する10億円は、30年間で70億円の「返済」義務がある事実上の負債であり、その企業が事業を行う地域からこれだけの付加価値が、県外または国外に流出することが運命づけられているものだ。
結局、VCや都内の資産家にエクイティ調達をする、というのは結果的に中長期でその人たちに利益配当を渡し続けることになります。そうなると、結果的にその企業が事業を行う地域から付加価値が、県外または国外に流出することであると。確かにそうだなと思いました。
本来は地域の資産家や地銀からお金を調達することが必要なんだろうけど、地域でこの仕組みを理解してくれる先は多くないとも感じています。
そして樋口さんの下記にある銀行に対する考え方、とても共感したため、流用させていただきます。地方でこの考えに同調してくれる銀行が増えれば良いなぁと思っています。
もしかしたら、銀行にとって最大の事業課題とは、顧客の信用力ではなく、自分自身が返済に値する存在か、すなわち自分は誰かということではないかと思うのだ。この発想は、金融の基本的な世界観を転換する。 銀行は債務者の信用力をあれこれ調べる以上に、自分たちが返済に値する存在かどうか、真剣に向き合うべきではないか。 資本主義経済の金融は、 ①元本が戻るか ②どれだけ金利を取れるか 以外の基準を持たない。銀行がどのようにお金を儲けようと、儲けたお金をどのように使おうと、合法である限り、社会は関知しなかった。 「自分のあり方」が返済率に多大な影響を及ぼすという視座で事業を見直せば、経営の優先順位が根こそぎ変わることになる。どういう意図で、どのような目的で、お金を貸すのか。自分には、債務者のことをどれだけ理解する意思と力があるか。 そのお金は、債務者を幸せにするのか。債務者がしてくれることではなく、自分が相手にできることが重要になる。金融の本質を贈与と捉えるパラダイムだ。人はなぜお金を返すのか、人はなぜ約束を守るのか。これらの答えはすべて自分の中にある。
「赦す」ということ
(本書より) 赦すことは、人間にとってもっとも難しいことの一つだが、その理由は、私たちが被害者であることを(無意識に)望んでいるからである。加害者を赦してしまえば、自分はもう被害者でいられなくなる。被害者でいられなくなってしまえば、誰からも優しくしてはもらえず、自分の正義を主張することもできず、無力な自分に逆戻りしてしまう。そのことを怖れて、被害者であることにしがみつくのだ。 自分が被害者でい続けるためには、できるだけ残酷な加害者が必要だが、あらゆる加害者はそのときが過ぎた瞬間に消え去ってしまう。だから、加害者の悪行を忘れないようにポスト・イットに書き込み、それを繰り返し眺めては怒りを燃やし続けるのだ。 赦せない理由は相手にあるのではない。加害者にしがみついているのは自分である。赦しは自分自身を加害者から真に解放するもつとも有効な!ひょっとしたら唯一の方法だ。自分が愛であるなら、加害者にしがみつく必要はどこにもない。赦しは、愛である自分を取り戻すことなのだ。。
どれだけ相手から不義理をされたり連絡を断たれたりしても、こちら側はいつでもオープンマインドでいたいと思っています。
本当に強い人は許せる人なので、これからも許せる男であり続けたいです。
(本書より) 人を憎むこと、復讐に生きることは、自分の積極的な選択に見えるが、真実はその正反対である。 人に対する怒りをバネに生きることは、反応的で、受動的で、他人に依存して生きることにほかならない。人を憎んで生きることは、自分の人生を他人に譲り渡すことと同じだ。 だからこそ、被害者という生き方を手放すためにもっとも有効なことが加害者を赦す、ということなのだ。赦しは加害者のためではない。自分の幸せを他人に依存することをやめて、自分で幸せを掴むためのものなのだ。放しは、自分の人生を取り戻すプロセスである。
怒りをバネにすることは短期的には良いかもしれませんが、中長期的に見たら、それは他人に依存して生きることに他ならないということに気がつきました。
被害者という生き方を手放し、相手を許すこと。これができたときにはじめて自分の人生を生きるということになるんだなぁと感じました。
最後に・書籍情報
ここまでが『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である こころの資本の経済学』の感想文でした。ここに書かれている内容は一部なのでご興味がある方はぜひ書籍を購入して読んでみてください。
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【記事を書いた人】

株式会社HONE
代表取締役 桜井貴斗
札幌生まれ、静岡育ち。 大学卒業後、大手求人メディア会社で営業ののち、同社の新規事業の立ち上げに携わる。 2021年独立。 クライアントのマーケティングやブランディングの支援、マーケターのためのコミュニティ運営に従事。







