東京のベンチャーから、縁もゆかりもない柳川へ。氏家将利さんが見つけた「地域で働く」という選択【福岡県柳川市】
公開日:
2026年10月13日
最終更新日:
2026年10月17日

福岡県南部、有明海に面する水郷・柳川。
市内を縦横に巡る掘割(ほりわり)や、ゆったりと水面を進む川下りの舟、歴史ある街並み。柳川には、長い時間をかけて育まれてきた文化や風景が、今も息づいています。

こうした地域の魅力を生かし、観光を通じたまちづくりに取り組んでいるのが、一般社団法人柳川市観光協会DMO推進室の氏家将利さんです。
メーカーでの営業を経て、東京のITベンチャーで新規事業開発に携わるなど、ビジネスの最前線でキャリアを積んできたそうです。そんな氏家さんが選んだのは、縁もゆかりもない柳川への移住と挑戦でした。
これまでのキャリアを一度手放し、知らない土地で新しい仕事を始める。そこには仕事内容だけでなく、収入や暮らし、これからの人生に関わる大きな決断がありました。
「地域にはポテンシャルがある。」
まちづくりの現場で、よく耳にする言葉です。魅力的な資源があり、熱意を持った人たちもいる。それでも、その可能性を具体的な事業や継続的な活動へと結実させるのは、決して簡単ではありません。
地域に足りないのは、可能性や資源そのものではなく、それを生かす「仕組み」や動く「人」なのではないか。
都市部で培った経験は、地域でどのように生きるのか。縁のなかった土地で、どのように信頼関係を築いていくのか。氏家さんのこれまでの歩みと、柳川での挑戦を伺いました。
(HONE/亀元)
営業から事業開発へ。仕事の原点にある「人との関わり方」

氏家さんのファーストキャリアは、美容・健康機器などを手がけるメーカーでした。
理系出身で、就職活動ではシステムエンジニアやコンサルティング会社も検討する なか、入社の決め手となったのは「メイドインジャパンを復活させる」というビジョンへの共感と、そこで働く人たちの熱い姿勢でした。
入社後は家電量販店などを担当する営業職として実績を重ね、福岡への転勤も経験します。
営業の世界では、商品の魅力だけでなく、売り場づくりや在庫の配分、取引先との関係性など、多様な要因によって数字が動きます。営業の成果を出し、社内でも評価される一方で、氏家さんはある疑問を抱くようになりました。
「売上が伸びたとして、それは本当にお客さまへの本質的な価値につながっているのだろうか」
この問いをきっかけに関心は「自分一人の営業成績」から、「後輩の育成」や「組織全体の仕組みづくり」へと移っていきます。営業マニュアルを作成し、組織改革にも着手。自分が頑張って数字を出すだけでなく、「誰もが力を発揮できる環境をつくること」にやりがいを見出すようになっていきました。
さらに仕事の領域を広げるため、ITスタートアップへ転職します。
現場の映像データをクラウドに蓄積し、さまざまな産業で活用していく事業で、日本のものづくりや現場に新しい価値を生み出せる可能性に惹かれたといいます。
営業から事業開発へと職域を広げ、映像データやAIを活用した新規事業の立ち上げに携わり、その後はスピンオフした会社にも参画しました。事業開発の現場で向き合い続けたのは、「技術があるから事業をつくる のではなく、解決したい課題から事業を構想する」ということでした。
どれほど優れた技術があっても、必要とする人や社会の課題に結びつかなければ価値にはなりません。一方で、顧客の課題を深く理解し、異なる企業や技術、人を組み合わせれば、一社単独では不可能だったことにも突破口が見えてくることもあります。
営業で培った「目の前の相手と向き合う力」が、事業開発を通じて「立場の異なる人たちをつなぐ力」へと昇華していったのです。営業、事業開発、そして現在の地域づくり。
一見すると異なるキャリアの根底には、「人が持つ力をどう生かすか」という一貫した眼差しがありました。
故郷でも、縁のある土地でもない。東京から柳川へ

東京で順調にキャリアを積む一方で、福岡への移住は以前から視野に入れていたそうです。過去に福岡で暮らした経験があり、家族の実家に近い場所で暮らしたい思いや、子どもには自然や歴史に触れられる環境で育ってほしいという願いもありました。
さらにコロナ禍を経て働き方が柔軟になり、東京に留まり続ける必然性も薄れていまし た。
そんな折、転職エージェントを通じて出会ったのが、柳川で地域プロジェクトを推進する人材募集でした。柳川は、過去に仕事で立ち寄ったことはあったものの、地縁も人脈もありません。加えて、地方の地域組織へ移ることは、収入面でも大きな変化を伴う決断でした。

それでも、柳川という土地には、不思議と惹かれるものがあったといいます。
もともと日本の歴史や文化、日本らしい風景が好きだったという氏家さん。
水路がまちを巡り、昔ながらの街並みや人々の暮らしが息づく柳川には、自分が大切にしてきた価値観と重なる魅力がありました。振り返れば、それは直感に近い感覚だったそうです。仕事の条件だけでは説明できない、土地への親しみや、そこで生まれる新たな可能性への期待。日本の地域が持つ資源や、そこで暮らす人たちの可能性をもっと引き出したい。そうした思いが、柳川で新しい一歩を踏み出す後押しになったのかもしれません。
とはいえ、企業の事業開発と地域づくりでは、物事の進め方が大きく異なります。
企業であれば、トップの方針や事業目標に沿ってトップダウンで走ることができます。
しかし地域には、行政、事業者、住民など、まったく異なる立場や価値観を持つ人たちが暮らしています。そして地域の歴史や、人びとが長年積み重ねてきた関係性があります。
だからこそ、地域に関わるうえで何よりも大切にしたのが、相手へのリスペクトでした。
「よそ者でありつつも、仲間だと思ってもらうこと」
外から来たからこそ気づける視点がある。
一方で、地域の人たちからの信頼がなければ、どんなに素晴らしい企画も前には進みません。異なる立場の人と向き合う難しさと、信頼関係を築く大切さ。それらをビジネスの現場で痛感してきた氏家さんだからこそ、時間をかけて一歩ずつ、柳川の人びとと関係を結んでいきました。
「坂本龍馬になりたい」。人と人をつなぎ、オール柳川を目指す。

柳川で目指す役割について伺うなかで、ある歴史上の人物の名前が挙がりました。
坂本龍馬です。異なる立場の人たちをつなぎ、それぞれの強みを組み合わせながら、時代の大きなうねりを生み出した人物です。その姿に、自分が果たすべき役割を重ね合わせているといいます。
事業開発では、自社だけでは解決できない課題に対して、他社の強みを掛け合わせる協業が不可欠です。そのためには相手の価値観や痛みに寄り添い、互いに手を取り合える関係を築かなければなりません。
地域観光での仕事も、本質は同じでした。
長年にわたり観光産業を守ってきた老舗、新しい風を吹き込もうとする若手事業者、柳川をより良くしたいと願う住民。
地域には、それぞれの立場で街を想う人たちがいます。しかし、熱い想いを持つ人がたくさんいても、それらが点在しているだけでは大きなうねりにはなりません。
そこで氏家さんはじめ、柳川DMOが大切に してきたのが、「オール柳川」という考え方です。
誰か一人のリーダーが牽引するのではなく、多様な人が関わり、それぞれの持ち味を生かしながら成果を生み出していく。地域で新しいプロジェクトを動かすには、アイデアだけでなく、行政との調整や事業者同士の利害関係のすり合わせが欠かせません。また、そこでは、単一企業の利益やロジックを押し通すことは通用しません。
「この街にとって本当に大切なものは何か」「誰が喜び、誰が負担を担うのか」。
それぞれの事情を丁寧に汲み取りながら、共通の目的を見出していくことです。東京で身につけた事業推進力と、柳川で育んできた対話の姿勢。
その両輪が、現在の氏家さんの仕事を支えています。
環境づくりへ。原動力になった「人」の存在。

もっとも、最初からすべてが順調だったわけではありません。
着任当初、氏家さんは「DMOがリーダーシップを発揮して地域を引っ張る」と考えていました。自ら戦略を描き、説明会を開き、若手とのワークショップを通じて次々と企画を立ち上げていったのです。しかし、実践を重ねるうちに壁に突き当たります。
「結局、自分がボトルネックになってしまっていたんです。」
企画を進めようとしても、DMO側が動かなければ現場が止まる。これでは、自分たちのキャパシティの範囲内でしか地域の取り組みが広がりません。
この失敗を経て、氏家さんの立ち位置は大きく変化しました。
組織が先頭に立って引っ張るのではなく、地域にいる人たちが同じ方向を向き、自律的にやりたいことを進められる土壌をつくること。「自分が動かす人」から、「みんなが動ける環境を整える人」へと、役割をシフトさせていったのです。
そして、柳川での活動に深くコミットし続ける理由として氏家さんが挙げたのが、「いいおじ」の存在でした。「いいおじ」とは、若い世代に思い切って挑戦させながら、何かあったときには後ろで責任を引き受けてくれる地域の年長者たちのことです。

「自分たちの若い頃には、思うように挑戦できなかった悔しさもある。だからこそ、次の世代には自由にやらせてあげたい。」
そう言って背中を押してくれる年長の大人たちが、柳川にはいました。
柳川へやってきた当初は、「日本の地域資源を生かしたい」という大義名分が出発点でした。しかし今では、泥臭く一緒に動いてくれる仲間や、信じて支えてくれる「いいおじ」たちの期待に応えたいという気持ちこそが、仕事を続ける一番の原動力になっているそうです。もちろん、地域の全員が同じ熱量を持っているわけではありません。それでも、挑戦を温かく見守る人がいて、その想いに応えようと走る人がいる。あたたかい循環が、生まれているように感じます。
地域の人と外部の専門家をつなぐワークショップ

その考え方が形になった取り組みの一つが、柳川のまちづくりコンセプトを考えるために開催した、全3回のワークショップの取り組みです。
▼全3回のワークショップについて
地域の観光事業者や鉄道会社、宿泊施設、教育関係者など、さまざまな立場の人たちが参加し、延べ約60名で柳川のこれからについて話し合いました。
きっかけとなったのは、地域の会議が「何を目指すのか」という目的よりも、「どうやってやるのか」「誰がやるのか」といった手段の議論に偏りがちだったことです。
たとえば、柳川を代表する観光資源である川下り一つをとっても、静かに自然を楽しんでもらいたい人もいれば、賑やかな体験を提供したい人もいます。どちらも柳川の魅力であり、簡単に一つの正解を決められるものではありません。
だからこそ必要だったのが、それぞれの考えを尊重しながら、柳川として何を大切にしていくのかを話し合う場でした。
▼専門家とのトークライブ
大切な文化を守るために、「稼ぐこと」を諦めない
人と人がつながり、新しい挑戦が生まれる。それは地域づくりの理想的な姿ですが、活動を息長く続けていくためには、避けて通れない現実があります。「お金」の問題です。
地域の現場では、立ち上げ時は盛り上がっても、補助金が切れるとともに立ち消えてしまったり、関係者の善意や持ち出しに頼って疲弊してしまったりする取り組みが少なくありません。そこでDMOの活動指針として据えたのが、「稼ぐことを諦めない」という姿勢でした。
新しい事業を生み出すうえで大切なのは、熱意やアイデアだけではありません。誰にどのような価値を提供し、どうやって持続可能な収益を上げていくのか。事業として自走する仕組みまで設計する必要があります。
一方で、地域づくりには利益至上主義だけでは測れない価値があります。
地域の歴史や文化を守ること。人びとがつながる場をひらくこと。若い世代が挑戦できる環境を整えること。こうした営みのすべてが、すぐに売上を生むわけではありません。柳川で暮らすなかで、氏家さん自身も「稼ぐこと自体を目的にしてはいけない」という思いを強くしていきました。しかし、どれほど意義のある活動であっても、継続するための資金が尽きれば道半ばで途絶えてしまいます。
お金は、活動を前に進め続けるための「ガソリン」です。誰かが私生活を削り、自己犠牲を払い続けなければ成り立たない仕組みでは、決して長続きしません。だからこそ、最初からすべてを民間の稼ぎだけで賄おうと気負うのではなく、必要に応じて行政の公金も賢く活用しながら土台を固める。そして、その土台のうえで自走できる収益事業をじっくり育てていく。
「地域で大切にされてきた文化を守ること」と、「自走するための経済を回すこと」。その二者択一ではなく、両方を成立させる道を探る。
ビジネスの最前線で培った事業づくりの視点があるからこそ、地域の取り組みを一過性の打ち上げ花火に終わらせず、持続可能な営みへと育て上げようとしているのです。
地域の「触媒」という大切な役割

地方の現場を歩いていると、「人手不足」や「担い手不足」という課題に必ず直面します。
一方で、東京をはじめとする都市部には、営業や事業開発、マーケティング、プロジェクトマネジメントなど、専門性や推進力を持ったビジネスパーソンもたくさんいます。そのスキルや情熱を発揮する場所は、決して都市部の大企業やITベンチャーのオフィスだけではないでしょう。
地域に関わる道は、生まれ故郷へのUターンや、地域おこし協力隊といった選択肢だけに限りません。
氏家さんのように、縁のなかった土地に移り住み、これまでのビジネス経験を地域というフィールドに再接続する生き方もあります。
収入や生活環境、人間関係の再構築など、乗り越えるべきハードルはもちろんあります。都市部のセオリーがそのまま通用しない場面にも直面するでしょう。
地域の人たちの声に耳を傾け、それぞれの強みや課題を理解する。異なる立場の人たちをつなぎ、協力関係を育み、実際の事業へと昇華させていく。
こうした「つなぎ役」の仕事は、地域にとって重要である一方、デザインや商品開発のように目に見える成果物になりにくく、直接的な売上としても可視化されにくい側面があります。
しかし、行政と民間、地域内のプレイヤーを結びつけるハブが存在しなければ、生まれなかったプロジェクトや、動かなかった予算、実現しなかった挑戦もたくさんあるはずです。
だからこそ氏家さんは、こうした地域のコーディネーター役に対しても、行政支援も含めて適切に予算を使う仕組みも必要だと考え動き、自分自身も事業づくりにも取り組まれています。
都市部のビジネス経験が生きるのは、地域に正解を持ち込めるからではありません。
外で培った知識や視点を、地域の人びとが何代にもわたって積み重ねてきた歴史や誇りと掛け合わせることで、新しい可能性が花開くのではないでしょうか。
おわりに「大義から恩義へ」

魅力的な資源や文化があり、街を想う人たちもいるのに、それぞれの活動が点在したままつながっていない。全国の多くの地域が、同じようなもどかしさを抱えているのではないでしょうか。
足りないのは魅力でも情熱でもなく、それらを結びつける「きっかけ」なのかもしれません。
今回お話を伺いながら、これからの地域には、氏家さんのような「触媒」となる存在が必要なのではないかと感じました。
触媒とは、化学反応を進みやすくする働きを持つものです。
地域には、長い時間をかけて守り継がれてきた資源があり、情熱を持って活動する人たちがいます。
その間に入り、人や組織をつなぎ、それぞれが持つ力を引き出すことで、これまでになかった新しい挑戦が生まれていく。
柳川DMOが取り組んでいるのは、まさにそうした環境づくりなのだと思います。
そして、今回の取材でもう一つ印象的だったのは、柳川に関わり続ける理由についてのお話でした。
日本の地域が持つ資源や、そこで暮らす人たちの可能性をもっと生かしたい。そんな大義を胸に、縁のなかった柳川へやってきた氏家さん。
しかし、実際に地域に入り、さまざまな人と出会うなかで、その思いには新たな理由が加わっていきました。
ともに試行錯誤を重ねる仲間や、新しい挑戦に取り組む若い世代、その挑戦を支える人たち。
柳川で出会い、時間をともにしてきた一人ひとりとの関係が、今ではこの土地で仕事を続ける原動力になっているといいます。
地域の可能性を生かしたいという大義に、柳川で出会った人 たちへの恩義が重なっていく。そこには、仕事の条件や合理的な判断だけでは説明できない、地域との深いつながりがあるように感じます。
外から来たからこそ気づける価値があり、地域の人たちと関係を重ねることで初めて見えてくるものもあります。そして、地域に新しい可能性をもたらそうとする人自身もまた、そこで出会った人たちによって変わっていくのだと思います。
地域の可能性を、可能性のままで終わらせない。そのための取り組みが、柳川の水郷で育まれています。
▼氏家さんと桜井さん(弊社代表)の対談はこちら
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自分の中だけで完結させず、誰かの力になるなら、惜しまず届けたいと思っています。
誰か一人の勝ちではなく、関わるすべての人にとって少しでも良い方向に向くべく、尽力します。地域の未来にとって、本当に意味のある選択をともに考え、かたちにしていきます。




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