『粋な男たち』粋とは?粋の美学とは?多くの偉大な人たちが見せてくれた「粋」
- 桜井 貴斗

- 9 時間前
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角川新書から出版されている『粋な男たち』。
粋とは?粋の美学とは?多くの偉大な人たちが見せてくれた「粋」など、粋をテーマに浅草キッド・玉ちゃんがこれまで経験してきた自分なりの粋・見てきた有名人の粋・名もなき人の粋についてエピソードと共に語られています。
本記事では桜井が心に残ったパートを一部抜粋してビジネスや生き方に転用できる点としてまとめてみました。
【粋な男たち】書籍説明
浅草キッド・玉袋筋太郎が紡ぐエッセイ。
野暮とか無粋とか――大人の時代、しましょうよ
自分のことを「粋な男だ」なんて、まったく思っていないよ。でも粋に憧れる思いは昔も今もずっと変わらないし、多くの偉大な人たちが見せてくれた「粋」を感じる「センサー」だけは持ち続けているという自負はある――。
著者について
●玉袋 筋太郎
1967(昭和42)年、東京生れ新宿育ち。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、1987年に水道橋博士とお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。芸能活動のかたわら、多数の本を手がけ、小説デビュー。社団法人「全日本スナック連盟」を立ち上げ、自ら会長を務める。主な著作に『スナックの歩き方』 (イースト新書Q)、『痛快無比!プロレス取調室 ~ゴールデンタイム・スーパースター編~』(毎日新聞出版)、『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(新潮文庫)などがある。
一番身近な粋な男、北野武
(本書より) 殿のカッコよさはこうした偉業だけじゃなくて、今でもバラエティ番組の最前線でバカをやり続けていることにあると見ているんだ。 偉くなって、「世界のキタノ」として世界的な評価を受けようとも、いまだに「足立区のたけし」として、昔と変わらずに着ぐるみを被ったり、裸になったり、叩かれたり、小突かれたり、スッ転んでみたり…お笑いを徹底的に続けているってことこそが、殿の偉大さだよね。
私自身、たけし軍団が大好きで軍団の皆さんの名前も大好き(つまみ枝豆・ラッシャー板前・グレート義太夫とか)。
その総長、北野武はすごい映画を作るし、めちゃくちゃ怖い作品なのですが、バラエティではとんでもないくらいバカみたいなことをします。このギャップがすごい!おもしろい!という感情よりもかっこいいなぁと思います。
結局、芸人なんだなぁと思うし、芸人であることを忘れていないところが大好きです。
唄「浅草キッド」の魅力
(本書より) 売れない漫才コンビが「煮込みしかないくじら屋で」「いつかうれると肩じて」、酒を呑ながら夢を語り、希望を語り、それでも現実は厳しくて…。一流の漫才師を目指すにあてなき2人」を描いた歌詞は、聞けば聞くほど泣けてくる。 これも、説明を削ぎ落とし、できるだけ余計な説明を排した殿の生き方、もっと言っちえば”美学”のようなものが表現されている。 キタノ映画の登場人物もそうだし、「浅草キッド」の歌詞に出てくる漫才師たちもそうだけど、彼らはみんな完全無々のヒーローなんかじゃないし、カッコ悪いヤツが一生懸命に背伸びをしてなんとかカッコつけようとしている。だけどやっぱり、カッコよく振舞うことができずに、ステーン!とスッ転んじまって…。 カッコ悪いカッコよさーそんなものが滲み出ているような気がするんだ。これが逆に、カッコいいヤツがカッコつけたって、なんの感動もないじゃない。 負を背負っている者だけが表現できる、寂しさとカッコよさ。 それが、殿の作品には滲み出ているんだ。そしてそれは、まさに殿の生き方そのものだと思うんだよ。常に、そこにあるのは「自分ごときが…」っていう、照れや恥じらいのようなものなものなんだよね。そういった、奥ゆかしさを持った人にオレは本当に惹かれるんだ。
すごくわかります。私もこのカッコ悪いカッコよさ、に心底惚れます。負を背負っているからこそ出てくる、哀愁とでもいうのでしょうか。
完全無欠ではない、THE 主人公って感じでもない。別に望まれているわけでもないけれど、陰からひっそり現れてボソボソ言いながら丸くなった背中で語るような、そんな奥ゆかしい人に私も惚れてしまいます。
地べたからの目線を忘れない
(本書より) 威張る人間に共通していることがある。人のことをバカにしている人間というのは、例外なく「上から目線」だよ。文字どおり、「人を見下している」んだ。 逆に謙虚な人間ほど、対等な目線を忘れない。いや、むしろ対等ではなくて自分のことを、より下に置いているような気がするな。 殿だってそうだよ。「世界のキタノ」と呼ばれるようになっても、いまだに「足立区のたけし」の心意気を忘れないっていうのは、地べたからの目線を忘れていないからだと思う。 要は、粋な男というのは「地べたからの目線」を忘れない人間なんだ。決して上からの目線じゃなくて、人よりも低い位置、地べたからの目線を大切に持っている人だよ。
自分よりも年下や後輩、部下と接する際に、見下す・教えてあげるというスタンスの人がとても多いなぁと思っています。常に謙虚で、対等な目線を持つこと。どんな人からでも学ぶものは必ずあるため、ただ「教えてあげる」という人間にはならないように気をつけたいと思います。
ここを読んで感じたのは、粋の定義がどれだけ偉くなったり年長者になったからといって、地べたからの目線を忘れず、「自分の苦しかった・辛かった経験」を忘れない人たちなんだろうということです。
私自身も地べたからの目線をずっと持っていたいと思います。
(本書より) 確かに、自分の力じゃ行けないような店に連れていってもらったり、目ん玉が飛び出るような高級な酒を呑ませてもらったりはしたけど、ちっとも楽しくなかった。 一度、彼らと密接な付き合いをしてしまうと、呼び出しを受ければなにがあっても駆けつけなければいけなかったし、自分の時間まで奪われているような気持ちになったもんだよね。 若いうちは応援してくれる人はいてもいいし、必要な存在かもしれないよ。でも、だからといって、ズブズブの関係になっては本末転倒だよな。 オレたちは酒を呑むために生きているんじゃなくて、一流の芸人になるために頑張っているのに、笑いのことを考えたり、漫才をする時間まで奪われたりしたんじゃ、なんの意味もないんだよ。
結局、なんのために頑張っているか?というと、玉ちゃんの場合は一流の芸人になるためであり、お酒を呑むためやモテるためではない。お酒の席は大切だけど、それはあくまでゲイの肥やしであり、お酒に縛られてはいけない。
それにやっぱり自分の身の丈に合わない場所っていうのはどこか居心地が悪いものだと思います。自分の身の丈に合った場所でお酒を呑むのが一番。私も赤提灯の居酒屋で飲むビールが一番うまいです。
親に「どうもありがとう」って言えてるか?
(本書より) 親父にひと言、「どうもありがとう」って言いたかった。でも、もう親父はとっくにお墓のなかだもんな。「孝行したいときに親はなし」っていうのは本当のことだよ。 オレはいま、個人的にも、仕事としても全国のスナックを回って呑み歩いているけど、それはある意味では罪滅ぼしのようなものでもあり、恩返しの感覚でもある。 あのとき、親父に言えなかった「ありがとう」の思いを、現役のママさんやマスターに伝えたいという思いが根底にある。 (中略) オレみたいな後悔をしてほしくない。だから、余計なお世話だと思いつつ「両親への感謝を忘れちゃいけないよ」って言っているんだ。 それは、罪滅ぼしのようなものかもしれないし、スナックに対する恩返しなのかもしれない。いずれにしても、オレは親父とお袋がホモスナックで一生懸命働いてくれたおかげで、無事に大人になることができた。 それは絶対に忘れちゃいけねぇことだと思うんだよね。そういう意味でも、新宿二丁目で号泣したあの夜のことは、オレにとって一生忘れられないことなんだ。
私も親父はもうあの世にいるため、お礼は言えません。なのでたまに実家に帰って線香を上げるか、仏壇に向かって心の中で話しかけています。
母親はまだ元気だけど一人で旅行などをするタイプではないため、私が出張から帰ってきた際に地方のお土産などを買っていくようにしています。
どんな人でも自分を育ててもらった人には感謝の気持ちを持つようにしています。直接声をかけた方がいい場合は多いけど、照れくさい場合はプレゼントを送ったりご飯に行ったりして感謝を伝える形でもいいなと思っています。
でも死んでしまったら直接話すことはできないので、できるだけ生きているうちに音を返していきたいです。
スナックこそ「粋」の宝庫
(本書より) これまで、何冊かスナックに関する本を書いてきたので、ここではあまり詳しくは触れないけど、スナックこそ「粋」の宝庫だと思うよ。 現代社会に取り残されつつあるスナック文化は、手つかずの大自然であり、世界遺産の原生林みたいなもの。ママの数だけ個性があるスナック、ママの数だけ人生があるスナック。どれひとつとして同じものはないから、チェーン店ばかりの居酒屋とはまったくちがった楽しみ方ができるんだよね。 サービスが画一化されていないということは、当然アタリもあればハズレもある。ハズレが怖いからと言って、無難な道ばかりを歩んでいたら、いつまで経っても刺激を手にすることはできないよ。 過剰にお腹立てされた同じ匂いのする街で同じ物を食べても、温室育ちの軟弱で生命力の弱い人間にしかならない。でも、「ここにはどんなドラマが待っているのか?」とドキドキしながら、身気を出して扉を開けるときの静かな興奮は、一度経験したら病みつきになるはず。
最近はGoogleマップでお店の口コミを調べて、駅からのアクセス・名物の料理・接客の良さなどを知ることができます。それはそれで必要な場面があるんだけど、必要なのはやっぱりスナックのような「どんなお店か全くわからない」、そんな状態で扉を開ける瞬間が何度あるか?だと思っています。
スナックの素敵なところはサービスもバラバラ、メニュー表はない、故に価格もわからない。席が隣になった今日初めましての人と一緒になんでもない話をして、歌を通じて仲良くなることです。謎の一体感があり、なんだかわからないけれど、「良い時間だった」と帰路につく。
そんなひと時がスナックの魅力なんだと思います。
レトロ感?スナックには「リアルレトロ」があるよ。
(本書より) スナックにはボロボロのモンチッチや、王貞治の日焼けしたサインボールもあれば、若かりし頃のママと高倉健とのツーショット写真が飾ってある。 それだけじゃないよ。全国各地の通行手形、あかべこ、木彫りの熊は「三種の神器」だし、額縁に入った昔の小判や紙幣もあるし、トイレタンクの手洗い場には小汚い造花やビー玉が飾ってある。 なかにはまだ現役として活躍中のレーザーディスクのカラオケセットが店内にデデーンと吃立しているスナックだってあるんだぜ。そんじょそこらの「おしゃれレトロ感」なんか吹き飛んじまうだろ。なにしろこっちは「リアルレトロ」なんだからさ。
レトロブームによって昭和や平成がフィーチャーされるわけですが、本当のレトロを感じたいのならスナックに行けばいいと思います。
そこには一過性のブームではなく、時が止まった時代があるからです。
料理好きのママがふるさとの味を残したいとおばんざいのようにたくさん料理をつくってくれることもあるし、編み物が好きなママはお手製のランチョンマットをつくっていたり、歌が好きなママは常連さんとデュエットしたり、ママの色がはっきり出るのもスナックの良いところです。
「レトロ感」ではなく、リアルなレトロを体感しに足を運びましょう。
人生は「粋か、どうか?」を確認する作業
(本書より) 両親のこと、姉のこと、カミさんと息子のこと…。どの関係性においても、いずれもワケあり"の濃い関係ばかりだよな。でも、彼らとの交流を通じて、オレはひとつひとつ、自分なりの選択を迫られその時々に応じて決断をしてきた。 その際の判断基準になったのは、自分の胸に手を当てて、「正しいか、どうか?」「カッコいいことか、カッコ悪いことか?」ということだった。つまり、それは「粋か、どうか?」ということを確認する作業だったのかもしれない。 オレは、粋を論じるような資格もなければ、そんな柄でもない。でも、自分なりの「粋」はこれから生涯をかけて見つけていきたいんだ。 たとえ、人生トラックの荷台が過積載になろうとも、自分のペースで走り続けていくよ。「粋」の答えを見つけるためにさー。
人生において他人に言えることばかりではないと思います。他人に言うとむしろちょっと具合が悪くなるようなこともある。自分の中でグッと堪えなきゃいけないこともたくさんある。
でもそんな複雑なことを体に入れて生きていくことが自分なりの価値観を形成するタイミングなんだと思います。
粋というのは自分なりのスタンス・価値観を持つことのように思いました。私もこれからもたくさんの経験を自分の「粋」に接続していきたいと思います。
参考(一次情報)
HONEについて
当社では、地方企業さまを中心に、マーケティング・ブランド戦略の伴走支援を行なっています。事業成長(ブランドづくり)と組織課題(ブランド成長をドライブするための土台づくり)の双方からお手伝いをしています。
大切にしている価値観は「現場に足を運ぶこと」です。土地の空気にふれ、人の声に耳を傾けることから始めるのが、私たちのやり方です。
学びや知恵は、ためらわずに分かち合います。自分の中だけで完結させず、誰かの力になるなら、惜しまず届けたいと思っています。
誰か一人の勝ちではなく、関わるすべての人にとって少しでも良い方向に向くべく、尽力します。
地域の未来にとって、本当に意味のある選択をともに考え、かたちにしていきます。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【記事を書いた人】

株式会社HONE
代表取締役 桜井貴斗
札幌生まれ、静岡育ち。 大学卒業後、大手求人メディア会社で営業ののち、同社の新規事業の立ち上げに携わる。 2021年独立。 クライアントのマーケティングやブランディングの支援、マーケターのためのコミュニティ運営に従事。









