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『知性について』知性とは?言語とは?主義とは?ビジネスに知性をインストールするには

  • 執筆者の写真: 桜井 貴斗
    桜井 貴斗
  • 10月29日
  • 読了時間: 12分
『過疎ビジネス』地域が“喰われない”ための3つの心構え

光文社から出版されている『知性について』。


本書で語られる知性。一見抽象的な概念ですがこれらをビジネス、会社、社会に実装したらもっと世の中が良くなるなぁと感じました。


本記事では桜井が心に残ったパートを一部抜粋してビジネスや生き方に転用できる点としてまとめてみました。




【知性について】書籍説明


思想家・内田樹が紡ぐ25のエッセイ。


インプットの方法、アウトプットの原則、学術の意味、複雑化する社会での教育、若い読者へのメッセージまで、知性の本質を縦横無尽に展開する。学問と実践、リベラルと保守、知性と宗教――対立するように見える概念の間を自在に行き来する内田哲学の真髄がここにある。混迷の時代を生き抜くための知の在り方を示し、現代人凝り固まった常識を打ち砕いてくれる一冊。



知性とは「頭が切れる」ことではない


(本書より) つまり「知性的な人」というのがいるとすれば、それはその人がいるせいで、周りの人たちの知性が活性化して、人々が次々と新しい視点から、新しいアイディアを思いつくようになるという遂行的なかたちで評価すべきではないかと思うのです。その人個人の知識や情報の量がどれほど多いかとか、どれくらい「頭が切れる」かということではなくて、集団の知的パフォーマンスを向上させる人が結果的に「知性的な人」と認定される。僕はそんなふうに考えています。 逆のケースを考えればわかります。個人的にはすばらしく頭がよくて、弁が立つけれども、その人がいるせいで、周りの人が黙り込んでしまい、思考が停止してしまい、その人以外には誰も新しいアイディアを出せなくなる…ということが起きるとしたら(実際によく起きます)、その人は「知性的な人ではない」と僕は判断します。

知性とはただ頭が良くて物事をバシバシ進めていくような固有のスキルではないんだなということを感じました。むしろ突出したスキルによって周りが萎縮してしまったり、アイデアが出てこなくなる状況をつくり出してしまうのは知性がある状態とは逆であると内田さんは言っています。


様々な人たちの意見が飛び交い、チームがワークする状態にこそ知性が必要であるということ。もしかするとその状態のときはみんなが「自分は調子がいいぞ」と感じるかもしれませんが、その環境をつくり出していくことこそが知性のある人なんだなと思いました。



人の批判をしてはいけない理由


(本書より) それから僕は他人の技を批判して、相対的な優劣を語ることを止めました。それは自分の学術的な研究においてもそうです。それからは他人の論を批判をしないようになりました。ときどきあまりにひどい間違いがあると、つい我慢できずに「それは違う」と言いそうになることはありますけれど。 ですから、僕は学問上のことでも、それ以外のトピックでも、誰とも「論争」というものをしたことがありません。論争なんかしても仕方がないからです。 論争で勝っても、学問的に成長するということはありません。自分の論が正しかったということが認知されると、自説に居着くことを余儀なくされるからです。論争して一度勝ってしまうと、あとになって「あれは間違いでした(あるいは不十分なものでした)」と言って前言撤回することに強い心理的抑圧が働きます。けれども、それは研究者にとってはかなり致命的なことです。

なにかを批判する、というのは一方(逆)の理論に固執してしまう、というのは確かになと思いました。


私も良くやってしまうのですが、「自分のスタンスを持つこと」と「一方の相手を批判してしまうこと」、この2つをきちんと分けなければならないと改めて感じました。


つい(意図的ではないですが)一方を批判してしまうと、自分の方が正しいと考えるようになってしまい、自説に執着してしまう可能性があります。その後、「やっぱり間違いでした」をいえるならまだいいのですが、それすらも言えなくなるとどんどん肩身が狭くなってしまい、立場がなくなってしまうなぁと思いました。


  • スタンスはとるけれど批判はしない

  • 自説に固執しない

  • 間違いがあれば謝罪して認める


を気をつけていこうと思います。



最も重要なことは「あなたの心と直感に従う勇気」


(本書より) これから生きてゆく若い世代に贈るメッセージですか・・・これは請け売りですけれども、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で語った言葉が僕は若い人に向ける言葉としては卓越したものだったと思います。今でもYouTubeで見られるはずですので、時間がある方はぜひご覧になってください。 その中で忘れがたいのは次の言葉です。 「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です。心と直感はあなたがほんとうは何になりたいかをなぜか知っているからです。(And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become.) J

スティーブ・ジョブスの言葉を改めて聞いて、私の大好きなドラマの一つ、「合い言葉は勇気」を思い出しました。


合言葉は勇気
合い言葉は勇気

以下があらすじです。


名物は桃とダルマだけという自然豊かな富増村。そこに「フナムシ開発」が産業廃棄物処理場の建設を決定する。自然が破壊されると村の住民は動揺し、建設差し止めの裁判を起こすことを決意する。村長の犬塚守孝(田中邦衛)は裁判のための弁護士を探しに、村でただ一人東京での生活経験がある大山忠志(香取慎吾)を連れて上京する。しかし、フナムシ開発顧問弁護士が老獪な網干頼母(津川雅彦)だと知るとどの弁護士も引き受けてくれない。 俳優の暁仁太郎(役所広司)は、輝かしい受賞経験が一度だけあるが、いまでは所属事務所のお荷物的存在に落ちぶれている。暁が弁護士を演じているテレビドラマを偶然にも、弁護士探しに奔走中の大山忠志が目にすることになる。暁を本物の弁護士だと信じ込んだ犬塚守孝は、暁に裁判の代理人を懇願し、引っ込みのつかなくなった暁もそれを引き受けてしまう。村の住民の前で弁護士を演じて裁判を諦めさせるつもりが、なぜか村の住民に裁判をおこすように勇気づけ、手段を選ばないフナムシ開発との法廷内外での戦いが始まった。

なんともわかりやすく、コミカルな設定なのですが、「良くいうと“役者バカ”、悪くいうと“バカ役者”」と言われる弁護士に扮する俳優の暁仁太郎が、はじめは安請負をしたにもかかわらず、徐々に村との結びつきを強く感じ、村のために戦う姿がとても感動したのを覚えています。オープニングが威風堂々なのもすごく良かった。


やはり、最後は勇気。そして気合。自分の心にまっすぐ向き合えるかどうかがこの先の未来を決めるんだと思います。



多人種といるから「多様性」になるのか?


(本書より) アメリカは社会内にさまざまなエスニック・グループが混在しています。「人種のるつぼ」ではなく、「人種のサラダボウル」だとよく言われます(混在しているだけで、決して溶け合わないから)。 そういうありようを「多様性」に対して寛容であると言われます。でも、果たしてそうなんでしょうか。アメリカ社会全体としては、さまざまなエスニック・グループが溶け合うことなく混在していることは許容されているけれども、あるエスニック・グループ内部では、それほどの多様性は許されていないように僕には見えます。 でも、あるエスニック・グループに所属する限り、そこから出ることを許されないというのは、ずいぶんつらいことではないかと思います。僕自身は「ほんとうの自分」などというものにぜんぜん興味がありません。そんなもの、どうだっていい。そもそも昨日の自分と今日の自分が同じ人間だったら、生きている甲斐がないじゃないですか。

最近、多様性について考える際に「日本人ほど多様性を許容する人種はいないのではないか」と思うことがあります。


それは上記で書かれているような、多国籍・多人種と同じ地域にいるからといって、溶け合っているわけではないケースや、特定のグループ内部では多様性は許されていないという話を聞いたりすることも背景としてはあります。


正月とクリスマスが同居し、八百万の神が同居し、和婚と洋婚が選べ、日本食と洋食もたくさんある。それを誰も咎めずに「それはそれ」という意識を持てている日本という国はとても柔軟なんだなと思っています。


なので、島国だから多様性がない、同一人種だから思考が偏っている、なんていう大きな主語の言論に左右されることなく、自分が見た事実を信じて生きていたいと思いました。



哲学とは「未知の領域を既知に繰り込む」能力開発のこと


(本書より) 自然科学がそうやって「未知」の領域を「既知」に繰り込んできたことはみなさんも同意してくださると思います。その成果は実績として可視化されますから。だから、自然科学が何の役に立っているかは誰にでもわかります。 でも、哲学が何の役に立っているかはよくわからない。わからないのも当然です。だって、哲学はこの「未知の領域を既知に繰り込む」能力そのものを開発しているからです。 能力そのものは目に見えないし、数値的に表示することもできない。僕たちが知り得るのはその能力が生み出したアウトカムだけです。 フロイトの言葉を借りれば、「私がどの程度それを信じているか分からない」ことについて思量できる能力、それが哲学が開発しようとしているものです。

哲学ほどビジネスと対極にある学問はないのではないかと思います。


それもそのはず。哲学とは「未知の領域を既知に繰り込む」能力そのものを開発しているから、というのが内田さんの見立てです。


つまり、「知らないこと」を「知っている・わかっている」頭に繰り込んでいく過程そのものが哲学である、ということだと理解しました。


例えば、生成AIが出てきたときに「こんなものが社会の役に立つのだろうか」という批判的な態度ではなく、「この知らないツールをどのようにして社会の中に実装していくのか」を考えることができる能力なのかな、と解釈しています。


哲学思考があれば、新しいものを拒絶するのではなく、どのようにして受け入れられるか、または意味があるものに仕立てられるか、ゆくゆく役に立つようなことはあるのか、などを考えられる思考体力なのかなとも思いました。



読む力とは「ペンディングする能力」のこと


(本書より) 「読む力」とはさきほど書いた通り、「ペンディングできる能力」のことだと僕は思います。まだ一意的に定義されていない概念を含む論考を読み続ける力のことです。「知的肺活量」と言ってもよい。ペンディングに耐えて、先へ先へと頁をめくることができる力です。 でも、この「肺活量」が少ない人がいます。そういう人は、すぐに息継ぎが必要になる。「わからないまま読み続ける」ということが苦痛なので、読んでいる本の中に「自分でもわかること」を探し出して、それにしがみつく。それだけを「つまみ食い」する。そして、「あの本にはこんなことが書いてあった」と話を簡単に要約してしまう。 そういう人に限って、著者や作品について軽々に「あれはダメだよ」とか「あの人は天才だね」とか断定的なことを言う。でも、その評言はその人が「わかったところ」だけについてのものなんです。その人が読んで「わからなかったこと」はそもそも存在しなかったことになっている。

ネガティブ・ケイパビリティとも近い概念だと思いました。


ネガティブ・ケイパビリティとは不確実性や答えのない状況に耐え、すぐに結論を出そうとせずに、曖昧さや懐疑心を受け入れる能力のこと。


要するにわかったような態度を取らないことなのかなとも思いました。ビジネスではつい、「ああ、そうゆうことか」と意味合いを端折ってしまうこともあります。「わからない」、というよりも「なんとなくわかった気がする」「わかった部分だけを解釈する」方が都合が良いからです。


要約は大切ですが、それによって大切なことが損なわれてしまうこともある。わからないことをわからないね、と結論づけることも能力の1つなんだなと発見になりました。



書く力とは「自分のヴォイス」を持つこと


(本書より) 「自分のヴォイス」というのは、すらすらと自分の思念や感情をはっきりと表現して、相手に伝達できる文体のことではありません。そうじゃないんです。逆です。自分の思念や感情をその発生時点の、星雲状態においてとらえることのできる声です。 だから、自分のヴォイスを持っている人は、つぶやいたり、立ち止まったり、言い換えたり、口ごもったり、前言撤回したりすることができる。 これが「自分のヴォイス」を持つことの最大のアドバンテージです。絶句したり、言葉が出て来なかったり、一度言ったことをあとから取り消すことができる。僕はこういう言葉の使い手になりたいのです。

自分の意見を持つ、言語化できる人はスタンスを持っている、自分の考えを持っているわけではなく、「前言撤回できる人」というのはなるほどと思いました。


むしろどもっていたり、うまく言語化できないこともある。それも含めて、「昨日言ったことは間違いだった。実は今日考えたことが正解だと思う」と言えるかどうか。自分の心に正直に、素直に、まっすぐ向き合えているかどうかが、ここでいう書く力なんだろうと解釈しました。


一方で、「書けない人」というのは、ある特定の正解を求めてしまったり、自分が間違っていると指摘されるのが怖い人なのかなとも思いました。そもそも世の中に正解などないため、感じたことを言語化し、ある日その言語化に違和感を持てば訂正する、くらいの感覚でいいんじゃないかなと思っています。



参考(一次情報)




HONEについて


当社では、地方企業さまを中心に、マーケティング・ブランド戦略の伴走支援を行なっています。事業成長(ブランドづくり)と組織課題(ブランド成長をドライブするための土台づくり)の双方からお手伝いをしています。


大切にしている価値観は「現場に足を運ぶこと」です。土地の空気にふれ、人の声に耳を傾けることから始めるのが、私たちのやり方です。


学びや知恵は、ためらわずに分かち合います。自分の中だけで完結させず、誰かの力になるなら、惜しまず届けたいと思っています。


誰か一人の勝ちではなく、関わるすべての人にとって少しでも良い方向に向くべく、尽力します。


地域の未来にとって、本当に意味のある選択をともに考え、かたちにしていきます。


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最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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【記事を書いた人】


プロフィール

株式会社HONE

代表取締役 桜井貴斗


札幌生まれ、静岡育ち。 大学卒業後、大手求人メディア会社で営業ののち、同社の新規事業の立ち上げに携わる。 2021年独立。 クライアントのマーケティングやブランディングの支援、マーケターのためのコミュニティ運営に従事。

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